高知県の硬式テニスは大正時代から行われていた。太平洋戦争後途絶えていたが昭和24年、県が高知市内を流れる鏡川の河川敷に造った3面のクレーコートを、高知ローンテニスクラブが借りて再開された。 |
当時は20名ほどの人々が楽しんでいたが、平成天皇のご成婚(S、34年)またその後の好景気の時代に、急激にテニス人口が増加した。 |
ところが昭和50,51年に台風による鏡川の大氾濫があり、川幅の拡張をする必要が生じた為、復旧が許されず、県内の社会人プレーヤーがコート不足に悩んでいた。 |
その高知ローンテニスクラブの一員であった徳弘晴輝当TCオーナーが、昭和53年に自身と家族及び市内のテニスプレーヤーのために、ボランティアで造ったのが、現一宮テニスクラブである。 |
ラブ・フォーティ18コートを持つ夢を実現 |